このサイトはJavaScriptがオンになっていないと正常に表示されません

Blog

「ロック」と「バンド」と「ライブ」

古屋と、大阪へライブで行ってきた。
もう何度行っただろう?

普通に生活をしていたら、きっとこんなに行くことはなかっただろう。

 

そう改めて思うと長い長い高速道路上の時間も、考えようによっちゃナントカだ。

 

 

 


4月、この時期はどこも桜が綺麗だった。

東名阪と桜が見れたのは贅沢だった。

そして桜の花びらは下を向いて咲いてる。
目が合う。

こちら側からだと花見だけど、あちら側からだと人見なのだろう、などとどうでもいいことを考えながら歩いた。

 

今年の花見はそれにて終了。

 

 

 


 

そして名古屋でも大阪でもこの春から新生活を送っている人と沢山会った。

「この春に〜から引っ越してきました」

そんな人が新たな地で、慌ただしい新生活の中でライブに来てくれることはとても嬉しく思う。

 

早く新生活に慣れるといいね。

 

 


ひとつひとつの土地を故郷のような気持ちで踏み締める。この生活がいつまで続くのか、いつまで続けられるのか。

 

日々の暮らしの中にはポッカリと穴が空いてる。一歩でも踏み間違えればすぐに落っこちる。

 

いくつもの夜を乗り越えて、ぐらぐらと不安定のまま進む。

 

 

 


 

「ロック」も「バンド」も「ライブ」も好きなものだ。

 

photo by 青木カズロー

 

「もしも無くなったら生きていけない」って好きなものを表現するときによく使う言葉だけど、別に無くても生きていけると思ったりもする。

たぶん。

もしも「ロック」も「バンド」も「ライブ」もなかったとしても、普通に美味しいもの食べて、普通にタバコふかして、普通に酒を呑んだりしてる筈だ。
でもあった方が楽しいから、
あった方がいいからこの人生を選んだのだ。

 

普通に美味しいものも、
ライブで地方に行って食べると一味違う。

 

歌詞を書き終えたあとの一服は至福だし、

ライブ後の酒はビックリするくらい美味しい。

 

こういうことがもっともっと沢山ある。
それでも、これらは “ +α ” みたいなもので別に無くなっても続けるのだろう。
なぜなら「ロック」が「バンド」が「ライブ」が好きだから。
日々の暮らしの中でポッカリと空いた穴につい足を取られて、
「死にたい」だの「辞めたい」だの
思うこともあるけれど、

やっぱりあった方が絶対にいいと思ってしまうからきっとまだまだ続くのだろう。

 

いくつもの夜を乗り越えて、ぐらぐらと不安定のまま進むのだろう。
でも始めてしまったからには、
必ず終わりはやって来るものだ。

 

その時までなるべく楽しみたい。
その時までなるべく一緒にいたい。
そんなことを思いながら、いくつもの夜を乗り越える。そして、これからもぐらぐらと不安定のまま進むのだろう。

 

 
不思議と悪い気分ではない。

 

 

photo by 青木カズロー

 

 

カタヤマヒロキ

 

九州ツアーを終えて

飛行機で東京を旅立ち、祐太朗と同じ便で二人で大分空港へ降り立つと、とても寒かったのを覚えている。

大分空港へ行く度に寂しいような、でも気が引き締まるような感覚におそわれる。それもあり余計に寒く感じて、薄着で来た自分を恨んだ。

 


 

毎年この季節になると九州へ来ている。

何故ならこの季節はサーキットイベントなどで一年で九州にもっともバンドが集まるからだ。

今年もやってきた。一週間と数日を九州で過ごして、合計六本のライブをやった。

福岡、小倉、長崎、小倉(アコースティック)、大分、熊本。

ツアーを振り返るのはラジオではよく喋っているが、ブログではめったに書かないのだが今回は少しだけ綴ってみようと思う。

 


 

 

初日は天神で行われるサーキット「ONTAQ」へ出演させて頂いた。

到着して早速とんこつラーメンを食べて、いざライブへ。

本番中に機材トラブルがあり…というよりもどうやらワタクシが原因のようでした…。

終了後、祐太朗に大分弁で「ステージで走ったらダメだよ。」という意味のことを言われてしまい、人から走ったらダメなんて注意されたのは小学生以来で反省した、ふりをしていた。

 

翌日の小倉。久し振りの小倉FUSEでのライブ。

噂に聞いていた天ぷら屋さんへ一人で行った後、楽屋で話していたら祐太朗も行ったとか。さすがに幼稚園から一緒にいると思考回路や行動パターンが似てくるのだと笑った。

新曲も披露して、アンコールまで無事に終え、小倉FUSEにDVDを置かせて頂いた。

 

翌日はオフだったので福岡市内へ。
昼に行きたかった鯛茶漬けのお店があったのだが営業時間に間に合わず、急遽福岡B級グルメとして噂を聞いていたお店へ。大満足でまたひとつお気に入りのお店が増えた。

 

そのあと耳鼻科に行き、天神の秘密基地へ。Droog合宿。そこでこれまた美味しいものを沢山頂き、優しい人に触れ、素敵な空間へ触れて、鋭気を養った。

 

あー、思い出したら泣けてきちゃう(涙)
そして翌日は久し振りの長崎へ。
二年ぶりに行ったちゃんぽん屋さんにはその時に書いたサインがしっかりと飾ってあり、
店のお父さんが「はやく売れんね!」と愛情たっぷりの皿うどんを作ってくれた。

 

そのおかげもあり、その日のメンツ的に終始浮いていたDroogだけど、しっかりと地に足をつけてステージに臨めた。はずだ。たぶん。いや、確かに。

 

新たな出会いもあり、良い一日となり、翌日は出発まで時間があったのでふらっと一人で出島へ行ってみた。

 

天気はとても良く、海の風が気持ち良かった。

この気持ちの良い海へいつも持ち歩いてる母の骨を少し、撒いた。

そして目を閉じてしばらく祈って、母への思いを馳せた。

 

まだまだ全国は行けてないけど、着実に少しづつ大切な場所が増えている。お墓ではないが、ひとつひとつの土地が意味のある大切な場所へと変わっていく。いや、変えてくれる。ありがとう。

 


そして再び小倉へ向かう。次はアコースティック、unplugged droogのワンマンライブ。一度の九州ツアーで小倉へ二回行くなんてあまりないでしょう。でも小倉が好きなんだ。単純に。理由はそれだけ。

 

MCで「小倉の街には悲しい女が多い気がする」と言ったら笑われてしまった。決して失礼な意味ではなく、強さを感じるということ。そう、九州の根が強い女性らしさを感じる。

アコースティックワンマンは大成功。あの場所にいてくれた人は本当にDroogのことを強く思ってくれているのだと感じて、ほんと、なんていうか、大切な人たちです。

 


 

大好きな友だちにも会えて、後ろ髪引かれつつ大分へ。

 

翌日、午前中は姪の卒園式に出席。おじさんもスーツを着て、姪の一挙一動に涙。大きくなったな。例えどんな子に成長しようと、おじさんは一生きみの味方だ。

 
そして午後はタワーレコード大分店とのコラボで「月刊カタヤマ」というフリーペーパーを発行して頂いているので、挨拶に伺って世間話。やっぱり好きです。ここ。
ライブ本番。有り難いことに沢山の友だちも見に来てくれていた。でも、ステージから姿が見えると、その、ちょっと恥ずかしいんだよ。嬉しいけど。

 


そして翌日は法事があり、お寺へ。
お坊さんに説法を説いてもらう。

 

その中で「ありがたい」という言葉の由来は「有るが 難き(あるが がたき)」と教えてもらった。「有る」ことが 「難い」と。
滅多にない、珍しくて貴重だとかいう意味だ。

 

確かにその通りであり、このツアーで沢山の貴重な経験をさせてもらっていることに感謝をした。今後、ありがとうと言う時にはこの意味を込めて言おうと思った。

 


そして日曜日、九州ツアー最終日である熊本。余談だが、このツアーの移動中は実家から持ってきたブラック・ジャックをずっと読み返していた。いちいちグッとくるのだ。

 

話を戻そう。熊本サーキットイベント「HAPPYJACK」。毎年出させてもらっていて大好きなイベント。

 

全体の雰囲気がとても良く、人が良く、街が良く、HAPPYJACKでいまいちなライブをした記憶はない。もちろん今日も気持ち良く、うたえた。
でも、きっとこうやって思ったのもDroogを選んで来てくれたきみがいたからだと思う。

長かった九州ツアーはこれにて一旦終了。

 

全6箇所来てくれた人、数箇所も来てくれた人や、東京や横浜などの遠方から来てくれる人もいた。
ワタクシこんなもんだから、ひとりひとりと話したときにそっけない態度と捉えられるかもしれないけど、実は感動していました。本当に嬉しかった。この事は絶対に忘れない。

 

 

きみの気持ちをたっぷりと受け取って上がっていきます。

 

偉そうだけど、手を差し出すから、一緒に上がっていこう。
そのためなら、手も、足も、目も、耳も、髪も、口も、喉も、捧げる。
きみを捕まえるための手。
きみの街まで行くための足。
きみのことを見るための目。
きみの声を聞くための耳。
きみに見られるから格好付ける髪。
きみに伝えるための口。
きみに歌うための喉。

 

 

全てを捧げるよ。
そう全て、だ。
行こう。まだまだ小さなバンドだけど行く準備はできている。

たまに美味しいものでも食べながらさ。

 

 

「有るが 難き」
有ることは、難しい。だが、だからこそ「有難い」。

きみは貴重な存在なのだ。

 

ありがとう。

 

 

 

カタヤマヒロキ

 

勝てなくてもいい、負けなかったら。逃げてもいい、諦めなかったら。

あれから一年が経った。

去年の今日、母が死んだ。

病院で息を引き取った。

僕は今日、大分から東京へ戻ってきた。
九州ツアーと一周忌の法事のために帰省していたのだ。

慌ただしい日々は相変わらずで一昨年、去年、今年とやはりこの冬のはじまる時期は僕にとって色々と起こる時期のようだ。

今日は朝から飛行機に乗り、歯痛に怯え、明日また再開するツアーの準備のためにスタジオに入り、歯医者へ行き、家の近くにある弁当屋さんで惣菜を買って帰って、呑気に録りためていたテレビ番組を観ている。

一年前。こんな未来なんて想像できなかった。

目の前が真っ暗になって明日のことすらわからなかった。

ただその時に決まっていたライブ。
ライブのスケジュール。

これだけが生活の中心となっていて、渦中ではどういう顔をしてステージに立てばいいのかわからなかったが今考えたら唯一、真っ暗な日々の中にある一筋の光だったのかもしれない。

いや、恐らくそうだったのだろう。

当時はステージに立てるのかさえ不安だったが、ライブがあったおかげできっと毎日を過ごせて、前に進めたと思う。

ライブという存在に助けられた。

沢山の人が支えてくれて、仲間が支えてくれて、ライブが支えてくれた。

だからこれからもライブに対して決して力を抜くことはない。全力でやる。当たり前だけど。だって命の恩人とも言える存在だから。

ただこんな事言っといて皆さんご存じスベっちゃうことも多々あるんですけど・・。

それは、ごめんね。

人が亡くなってからは一般的には、お通夜、葬儀、四十九日、初盆、一周忌…とそれなりに行事が行われて普段会わなかったような親族とも定期的に顔を合わせたりする。

これはあくまで僕の考えだけど、亡くなった親族が寂しくないようにっていう理にも適っているように思う。

一周忌が終われば、次は三周忌で二年の間が開くわけで、やはり一周忌というのは一つの区切りなのかなとも感じる。

一周忌のときには慌ただしくあまり実感が湧かなかったが、なんだか今日はずっと不思議な気分の中にいた。

東京の家に帰り着いて、去年、この時期につけていた自分だけの日記を見てみた。

ここ一年はあまり見ることすらできなかった日記を。

辛くて全部は見ることができなかったが、亡くなる前日にはこう書いていた。

「11月20日

とうとう顎呼吸になる

ほぼ意識がなく話しかけても反応がない

辛いのか眉間にシワが寄っている状態の時に『笑って』と語りかけたらニコッと笑ってくれた

世界一素敵な笑顔だった」

今まで一年といっても実感のなかった気持ちが涙となって溢れ出した。

もう泣かないと思っていたがダメだった

ただこれは悲しいという気持ちよりも、その状態で笑った母に対する愛しさで涙が出た。

悲しみの底でも、教えられることが沢山あった。

僕もこんな人になりたいと思う。

嬉しいときに、思いっきり泣いて
悲しくて辛いときでも、笑えるような

そんな人になりたい。

この一年で何が変わっただろうか

この一年で何を失って、何を得たのだろうか

相変わらず人に迷惑をかけたり、思い返せば駄目な部分ばっかり頭をよぎる。

だけど胸を張って、声を大にして言えることがある。

たとえ今悲しみの底にいたとしても

一年で人は心から笑えるようになる

たった一年。

たった一年でその悲しみの底から抜け出せる

そして抜け出したときには

きっと大きなものを教わっているはずだ。

あんまり好きな言葉じゃなかったけど

心を込めて言わせてもらう。

だいじょうぶ。がんばろうぜ。

最後の夏

夏になった。日が昇るのが早くなり、蝉の声が聞こえてくる。
半袖を着るようになり、蚊に刺されるようになる。
ビールが旨くなり(年中旨いっちゃ旨いが)、テレビでは海で水着のお姉ちゃんが笑っている。

ふと気付けば、もう8月が始まろうとしている。

時間はあっという間に過ぎていく。

その過ぎ去っていく時間の中でどれだけの大切なものを失って、どれだけの価値を見出していけるか。

1年前や半年前に想像すら出来なかったようなことが平気で起こる。そりゃもうドカドカとやってくる。

もちろん良いこともある。ただ続けて遠慮もなくやってくるのは大体悪いことだ。良いことは遠慮がちなんだろう。

これを見てくれているあなたの調子はどうだろう。
風邪をひいたり、夏バテしたりしてないだろうか。
親とは仲良くしてるだろうか?

母がこの世からいなくなって半年が経った。

母がいないはじめての冬が終わり、はじめての春が過ぎ、はじめての夏がきた。

色々と落ち着いては、また新たな問題も出てくるの繰り返し。だが不思議と日常を送っている。

街で親子などを見かけると以前なら感じなかった暖かい気持ちになるようになった。
そのあと胸にぽっかり空いた穴がグッと苦しくなる。

ふとした瞬間に涙が出ることはあるが、毎晩寝る前に泣くこともなくなった。

寝るときもテレビと電気を付けていれば、なんとなく気は紛れる。

メディアでの家族もの、病気ものは今だにまだちゃんと見ることはできないが、ずっとメソメソしてる訳にもいかない。

はじめての夏がやってくるということは、はじめての盆もやってくる。初盆というやつだ。

上京して知ったが、盆といえば8月と思っていたら、都内や一部の関東圏では7月なんだそうだ。

盆とは改めて調べてみると「先祖の霊を祀る一連の行事」だという。

先祖の霊を迎える「迎え火」や、盆の時期一緒に過ごした先祖を送り出す「送り火」といった文化的習慣は、どうもしっくりこない。

というのも僕にとって母は先祖だの霊だの、そんな遠い存在じゃなくて、もっと近いもの。

なんなら1年前の夏は入退院を繰り返していたものの、ライブがない日はほとんど一緒に過ごしていたのだ。

母の病気が見つかってから僕は日記を付けていて、それを見返すことはまだできないが、去年の夏はこんな様子だった。

病室で「セミが鳴いてるねえ 」なんて、何でもない会話をして、一日中のほほんとした時間を過ごした。

病室もまだ大部屋だったので、同じような状態のがん患者の人たちと皆で、何でもない会話をして一緒に笑い合っていた。

僕がどうにか明るく振る舞おうと、つまらないことばかり言ってると、皆の方が明るくて、逆に勇気付けられた。

「本当にがんなのかよ…このババアたち」
と思うくらいうるさかった。

ある日、母の隣のベッドにいたおばあちゃんが病院内のセブンイレブンでカレーを買っていて、やっぱり食べられないからと僕にくれた。
「美味い!」と食べたら、それから1週間くらい行くたびに毎日カレーを用意されてたのには、流石にまいった。今でもセブンイレブンに行くと思い出す。
本当に皆明るくて、そして強かった。

でも1人ずつ部屋からいなくなっていくのは、言葉にできないほど悲しくて、
神様を恨んだ。

退館時間になり帰ろうとすると、部屋から少し歩く、遠い出入り口まで、来ないでいいと言うのを聞かず母は必ず見送りに来て、野良猫に残した病院食をあげたりしていた。
【エサをあげないで下さい】と貼り紙があるのに、いつもこっそりあげていた。

そして僕の姿が見えなくなるまで手を振っていた。

話を戻すと、去年はそんな風に過ごしていたのに、今年は「先祖の霊」として迎えるなんて、そんなの気持ちの帳尻が合わないのだ。

と言いつつ盆は大分へ帰ろうと思っている。
色々な思い出がある、安心するやら悲しいやらの複雑な故郷、大分へ。

今でも母とはいつも一緒にいると思っているので、あくまで「文化的行事」として盆を行おうと思う。

時間はあっという間に過ぎていく。

その過ぎ去っていく時間の中でどれだけの大切なものを失って、どれだけの価値を見出していけるか。

時間はあっという間に過ぎていくからこそ、
尊いし、儚い。

その気持ちを噛み締めて、今夏を過ごしたい。

春は出会いと、別れの季節

今年も桜が世間を賑わせたかと思うと、あっという間にお花見シーズンも終焉を迎えた。まだ、というべきか、もう、というべきか分からないが4月になった。

桜といえば母が1番好きだった花で、大分にある片山家の墓石にも桜が描かれている。

10年くらい前に母が墓の横に桜の苗木を植えて、毎年少しずつ少しずつ大きくなっている。

墓は山の中にあって、森に囲まれている。

いつも墓参りに行くと野生のカラスがいて、よくエサをあげていた母に懐いていた。

カラスが人に懐くのは信じられない話だけど、毎回毎回墓参りに行くたびにエサを置いていると母の車が墓の前に止まった瞬間にカラスがやってくるようになった。

恐らくつがいであろう2匹。

「野生のカラスにエサなんて…」とぶつぶつ言っていたぼくもこの前、母の車で墓参りに行ったらあの2匹が飛んでやってきたので、買ってきておいたエサをそっと置いて帰ってきた。

最近はというと、やはりライブを月10本くらいのペースでやっていて、ありがたいことに色々な土地に行っている。

と、同時に気の合う友達と呑んだくれたり、ラジオで新しい音楽と出会ったり、女の子の尻をおっかけたり、相変わらずな生活を送っている。

これは前々から思っていることだけど、僕はバンドの運営も上手いわけじゃないし、頭も決して良い方じゃないけど、いい人と出会う運だけはある。

バンドの友達、先輩、デザイナー、カメラマン、イベントをやってる人や、ショップの人…

こうやって職種を越えてよくしてくれる人がいて、この人たちには本当にいつか恩返しをしたいと思っている。大切な、大好きな人たちだ。ファミリーだ。

きっとこの人たちがいなかったら、呑みに連れ出してくれなかったら、僕は1人で呑んだくれて酷いことになってたと思う。

そして新しい曲も作っている。

初めての曲をライブで積極的にやっている。
前のブログに「怖いことがなくなった」と書いたがこれは曲に関してもそうで、以前は怖くてやれなかったようなアプローチもできるようになった。

伝えたいことが根本に強くあるかぎり、自分らしくないと思っていた歌い方だろうが、自分らしくないと思っていた言葉だろうが、強く揺るぎなく出せるようになった。

新しい曲で「もう一度出会えたのなら、強く愛を確かめ合おう」という内容の曲を書いた。

ただただ甘い言葉を列ねた曲だけど、これは今じゃないと書けなかった歌だ。

去年のツアータイトルから「MAKE A GIRL」と名付けた。きみにも聴かせることができたらいいな。

春は出会いと、別れの季節だという。

新しいことが始まる季節で、新しいことが始まるということは新しい出会いがあり、そして別れもあるという。

でも僕は、もうこれ以上に別れは欲しくない。例えそれによって新たな出会いがなくなるとしても。

きっと生きていくなかで、人生の道を進んでいくなかでそれは必要不可欠なことかもしれない。だけど今ある環境を大事にして、おもしろおかしく上がっていきたい。

それができるかどうかは、自分次第だ。

 

img.stardust-web