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「命題ツアー」名古屋、京都、岡山編

2016.9/13 岡山にて


命題ツアー9本目は久し振りの岡山ペパーランドへ。

岡山へ着いてすぐに大分県民のソウルフードであるファミレス「ジョイフル」があり、テンションあがる。同じ大分県民で名古屋、京都、岡山と3ヶ所を共にしてるhotspringと入店。

昨日の差し入れで頂いたビール「大分づくり」といい、京都から2ヶ所一緒のthe twentiesといい、どれだけ大分づいてるのか。

写真はそのジョイフルから見えた岡山の景色。

夏の終わりに涼しい風が吹き通ってとても綺麗だった。

 


 

本日の対バンは…
THE PINBALLS
hotspring
the twenties
Morning Erections

全バンド知ってて、仲も良く、またまた濃すぎるメンツ。ライブの様子は…もちろん最高。みんな汗びっしょりだった。酸欠状態が続いてた。

 

今日も含めて、この3日間で分かったこと。

 

それは俺たちにはいい先輩たちがいる、ということと……「これだけ濃いメンツでこれだけバンド数が出ればトリの時にはみんな確実に疲れ切ってる」てこと!お客さんも、出演者も、ライブ見てる俺たちも!!もうみんな疲れてんだよ!!っていう( 笑 )

でも、そこはそれでもちゃんとやらなきゃいけない。敢えて今回の新譜の曲を披露するには逆に良い状態だったのかな、とも思う。

でも時間的に新曲を全曲はやれなかったので、物足りないと感じた人は10/14大阪Pangeaワンマンに是非、来てね。

 


 

とにかくこの命題ツアー、凄い面白いことになってきてます。明後日、いやもう明日だ。明日は札幌へ行きます。

 

ひっさしぶりの札幌。どれだけの人に新譜が届いてるんだろう。とても楽しみ。

 

久しぶりのきみにも会えるかな。

 


 

命題ツアー、まだまだ続きます。

 

2016年9月14日(ツアー約半分を終えて。岡山の帰り道なのか、北海道へ向かう道中なのか、どちらかわからない深夜の高速道路の上より)

カタヤマヒロキ

 

…zzz

 

 

「命題」超個人的全曲解説

2015年8月某日 別府にて

今年の4月にレコーディングをしたアルバム「命題」がようやく作品として形になった。リリース前日の今日、早いところではもう店頭に並んでいる。

今、僕がなにをしてるかというとまた九州にいる。九州から東京への帰路につくところだ。

「ふと」気付いたことだが、いつもこのブログを更新する時は、なにかの「帰り道」だった。

きっと帰り道はどこか寂しくて、楽しかった出来事を思い出しては、なにか記録に残したいという心情になるのだと思う。


「Droog / 命題」8/3 release!
「命題」

今回リリースされるアルバム「命題」を自分たちで何度も繰り返し聴いていて、どこかもの悲しさを感じることが多々あった。

それは作った際の心境や、ここ数年の状況が反映されているからなのだが、きっとこのアルバムは「帰り道」と相性がものすごく良いのだと気が付いた。

あなたが1人でも、家族でも、友達でも、恋人でも、誰かと、どこかへ行った「帰り道」に聴いてみて欲しい。相性の良さは約束できる。


それを踏まえて今回の「全曲解説」をしてみようと思う。先に言っとくけど、とても長いです。

そして、とても個人的なことまで書いてあるので、自分のイメージを優先したい人は読まないで下さい。
それでも・・って人はアルバム「命題」を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。

よし、いくか!


【#1】「終点」

オープニング・トラック。再生ボタンを押したらブレスから始まり、全員の音がいっぺんに出る。
『蜂のように刺す何度でも / 終点まで 道づれさ』というワードで始まります。
「蜂のように刺す」とはご存知、「モハメド・アリ」オマージュです。

作詞後に、訃報を知り、非常に驚き、悲しかったです。

話を戻すと、この曲は特に歌う事を意識して作りました。
まるで椎名林檎が歌ってもおかしくないようなメロディックで色気のある1曲が完成しました。

「終点」というタイトルが浮かんだ時からリード曲になりそうだなとなんとなく思っていました。

「終点」 MV


【#2】「夜明け前」

鍵盤を使用し、新たなDroogの道すじを照らすような1曲です。

ぶっちゃけると、もちろん「My Way」リスペクトです。
アルバムの最後の曲にしようかと思っていましたが、「終点(終わり)からはじまる」という今回のテーマにも沿って2曲目に持ってきました。

歌詞は現代の言葉とは思えないような古臭さを出すのに意識しました。歌詞においては80’sジャパニーズロックの影響が色濃く出ています。


【#3】「血まみれでも きみは美しい」

きっとこの曲ができた事によって「歌う」ということが自分の中で開けてきたのだと思います。今までにない、歌い方にチャレンジした1曲です。

タイトルの「血まみれ〜」とはデビルマンの名シーンより引用しました。漫画史上最大の感動シーンです。

腹に穴が開き頭の翼をもがれたシレーヌという悪魔は絶命寸前。そこに現れるのがカイムという悪魔で「シレーヌ、血まみれでも きみは美しい」と言うのです。そして死を意味する自分の身体を捧げる合体をする。このシーンを見てボロボロと涙が止まりませんでした・・・。
武骨ながらも愛するシレーヌのためなら死さえいとわないカイムの男気にグッときます。


【#4】「TOKYO SUBMARINE」

これぞDroog節な曲。ミュージックビデオも作りました。
東京をテーマとした曲はロックバンドには必須のように思います。

くるりの「東京」しかり、銀杏BOYZ「東京」・・・。挙げてもわかるように名曲が多いです。

自分の中で上京して5年、希望や夢に溢れている東京、ただ、たまに凄く怖くもなる東京、やっと東京についての曲が書けました。
これが今Droogが感じている「東京」です。

ミュージックビデオでは「東京=都会」のシティ感や、窮屈な潜水艦をテーマに映像をその場で映し出すという新たな手法にもチャレンジしています。youtubeにあるので是非とも見てほしいです。

「TOKYO SUBMARINE」 MV


【#5】「Loser」

今までは出せなかったメロディを出した1曲です。

今まではいいメロディがあってもどこか恥ずかしいような、照れくさいような気持ちがあり、ストレートに歌うことができませんでしたが、今回は一切のブレーキをかけずにいいと思ったものを全て出し切りました。

レコーディングではボーカルに独特のエフェクトをかけて録音しており、その点もこだわったポイントのひとつです。


【#6】「B級ブギー」

この曲もDroogが得意とするタイプです。
色でいったら「青」。

B級ブギーなどと言っておきながら、非常に王道なブギーリズムでスタジオでセッションしながら作っていきました。

歌詞も、言葉をなるべく詰めて、言葉数を多くして、できるだけ冷静に、そして冷たく意識して歌いました。
きっとその方がこの曲の良さが出るだろうなと思っていたからです。

ざわついた日常の中で、ふとしらけてしまう瞬間ってありませんか?そんな一瞬に対して、「そうじゃないだろ、もっと熱くなれよ」と思う自分と、冷めてしまった自分が葛藤してる空気感が出せればいいなと思って作りました。


【#7】「オールド・ロマンス」

この曲も今までのDroogにはないタイプのミドルテンポのメロディ、ノリ重視な曲です。

作っている際に意識していたのは曲でいうと「Heat Wave」、バンドでいうと「THE ROOSTERS」です。九州の血が流れている1曲だと思います。

自分の声が元々嫌いで、だからわざとガラガラ声で歌ってみたり、叫んで声質を変えるということをしてきましたが、自分の持っている声と、向き合うことによって、キチンと自分の声の弱点、好きな点も理解することができてきました。

その上で何物でもなく、自分自身の声、というものを意識して歌いました。もし自分が映画を撮るとしたらエンドロールで流したいくらいのエンド感満載な雰囲気に仕上がったと思います。弾き語りで歌ってもとても気持ちのいい曲です。


【#8】「晩夏のブルース」

今回のアルバム全曲に言えることですが、ここ数年のTHE YELLOW MONKEYとの出会いが大きかったです。完全に後追いですが、今では大ファンです(笑)

「晩夏(ばんか)」とは夏の終わりを示す言葉で、実はこの曲を作っていた時にデヴィット・ボウイの訃報を受けました。そこで「晩夏 & 挽歌=死者への歌」というダブルミーニングにしました。


【#9】「こわれても」

Droog初のスローテンポなバラードです。

ずっとバラードを作ればと色々な人から言われていて、それでも今までのDroogでは消化することができませんでした。でも、このタイミングで出来たのはきっとバンドがバラードを歌う覚悟が出来たからだと思います。

なるべく静かに、「静」を意識しながらも、感情的に歌おうと決めていました。

Droogにとっての初バラード、まさに「帰り道に聴いて欲しい」曲です。
イメージとして、このアルバムはここ9曲目で一旦区切りがつきます。

そして、最後の「命題」という曲で、「これから」を歌います。


【#10】「命題」

アルバムタイトルにもなっているこの曲で「生」と「死」、「出会い」と「別れ」、それでも自分らがどうやって生きていくのかを歌いました。決意表明のような意味合いです。

実はこの曲のタイトルだけ最後まで決まらず、レコーディングが終わって「命題」と名付けました。

「命題」 MV

仮タイトルは「ロックバンド」だった。

何故この時代にロックバンドを選択して、やっているのか。そしてそれを受け止めてくれる人がいる。きっとそれら全てに意味があると思うのです。

大袈裟だけど、僕らにとっての命題が「バンド」であり「ライブ」であり「ロック」なのです。

人生の中で何かひとつだけでも命を掛けてやってみたい、そんな思いでこの作品を作っていきました。と言っても、それはあくまでこちら側の話、作り手の個人的な話であって、リリースされたらもうあなた達のものです。

どう聴いてもらっても、どう受け止めてもらっても構いません。


長々と全曲解説をするにあたって、ここまで作り手の個人的な意図や思いを説明するのはどうかと悩みました。リスナー側からすると、そんなこと知ったこっちゃあないし、知らない方が良い場合だってあります。

ただひとりでも多くの人に聴いて欲しい、興味のない人に少しでも興味を持ってもらえれば幸いとと思い、僕の拙い文ですが今回のアルバムについて長々と書きました。

でも、もしこの作品を気に入ってもらえて、ライブハウスに来てもらえれば、これ以上の幸せはないです。

長文にお付き合いいただきどうもありがとうございました。


「命題」

1人でも多くの人に届くことを願って。
2016年8月2日(蝉時雨に降られる午後に)
カタヤマヒロキ

「ロック」と「バンド」と「ライブ」

古屋と、大阪へライブで行ってきた。
もう何度行っただろう?

普通に生活をしていたら、きっとこんなに行くことはなかっただろう。

 

そう改めて思うと長い長い高速道路上の時間も、考えようによっちゃナントカだ。

 

 

 


4月、この時期はどこも桜が綺麗だった。

東名阪と桜が見れたのは贅沢だった。

そして桜の花びらは下を向いて咲いてる。
目が合う。

こちら側からだと花見だけど、あちら側からだと人見なのだろう、などとどうでもいいことを考えながら歩いた。

 

今年の花見はそれにて終了。

 

 

 


 

そして名古屋でも大阪でもこの春から新生活を送っている人と沢山会った。

「この春に〜から引っ越してきました」

そんな人が新たな地で、慌ただしい新生活の中でライブに来てくれることはとても嬉しく思う。

 

早く新生活に慣れるといいね。

 

 


ひとつひとつの土地を故郷のような気持ちで踏み締める。この生活がいつまで続くのか、いつまで続けられるのか。

 

日々の暮らしの中にはポッカリと穴が空いてる。一歩でも踏み間違えればすぐに落っこちる。

 

いくつもの夜を乗り越えて、ぐらぐらと不安定のまま進む。

 

 

 


 

「ロック」も「バンド」も「ライブ」も好きなものだ。

 

photo by 青木カズロー

 

「もしも無くなったら生きていけない」って好きなものを表現するときによく使う言葉だけど、別に無くても生きていけると思ったりもする。

たぶん。

もしも「ロック」も「バンド」も「ライブ」もなかったとしても、普通に美味しいもの食べて、普通にタバコふかして、普通に酒を呑んだりしてる筈だ。
でもあった方が楽しいから、
あった方がいいからこの人生を選んだのだ。

 

普通に美味しいものも、
ライブで地方に行って食べると一味違う。

 

歌詞を書き終えたあとの一服は至福だし、

ライブ後の酒はビックリするくらい美味しい。

 

こういうことがもっともっと沢山ある。
それでも、これらは “ +α ” みたいなもので別に無くなっても続けるのだろう。
なぜなら「ロック」が「バンド」が「ライブ」が好きだから。
日々の暮らしの中でポッカリと空いた穴につい足を取られて、
「死にたい」だの「辞めたい」だの
思うこともあるけれど、

やっぱりあった方が絶対にいいと思ってしまうからきっとまだまだ続くのだろう。

 

いくつもの夜を乗り越えて、ぐらぐらと不安定のまま進むのだろう。
でも始めてしまったからには、
必ず終わりはやって来るものだ。

 

その時までなるべく楽しみたい。
その時までなるべく一緒にいたい。
そんなことを思いながら、いくつもの夜を乗り越える。そして、これからもぐらぐらと不安定のまま進むのだろう。

 

 
不思議と悪い気分ではない。

 

 

photo by 青木カズロー

 

 

カタヤマヒロキ

 

九州ツアーを終えて

飛行機で東京を旅立ち、祐太朗と同じ便で二人で大分空港へ降り立つと、とても寒かったのを覚えている。

大分空港へ行く度に寂しいような、でも気が引き締まるような感覚におそわれる。それもあり余計に寒く感じて、薄着で来た自分を恨んだ。

 


 

毎年この季節になると九州へ来ている。

何故ならこの季節はサーキットイベントなどで一年で九州にもっともバンドが集まるからだ。

今年もやってきた。一週間と数日を九州で過ごして、合計六本のライブをやった。

福岡、小倉、長崎、小倉(アコースティック)、大分、熊本。

ツアーを振り返るのはラジオではよく喋っているが、ブログではめったに書かないのだが今回は少しだけ綴ってみようと思う。

 


 

 

初日は天神で行われるサーキット「ONTAQ」へ出演させて頂いた。

到着して早速とんこつラーメンを食べて、いざライブへ。

本番中に機材トラブルがあり…というよりもどうやらワタクシが原因のようでした…。

終了後、祐太朗に大分弁で「ステージで走ったらダメだよ。」という意味のことを言われてしまい、人から走ったらダメなんて注意されたのは小学生以来で反省した、ふりをしていた。

 

翌日の小倉。久し振りの小倉FUSEでのライブ。

噂に聞いていた天ぷら屋さんへ一人で行った後、楽屋で話していたら祐太朗も行ったとか。さすがに幼稚園から一緒にいると思考回路や行動パターンが似てくるのだと笑った。

新曲も披露して、アンコールまで無事に終え、小倉FUSEにDVDを置かせて頂いた。

 

翌日はオフだったので福岡市内へ。
昼に行きたかった鯛茶漬けのお店があったのだが営業時間に間に合わず、急遽福岡B級グルメとして噂を聞いていたお店へ。大満足でまたひとつお気に入りのお店が増えた。

 

そのあと耳鼻科に行き、天神の秘密基地へ。Droog合宿。そこでこれまた美味しいものを沢山頂き、優しい人に触れ、素敵な空間へ触れて、鋭気を養った。

 

あー、思い出したら泣けてきちゃう(涙)
そして翌日は久し振りの長崎へ。
二年ぶりに行ったちゃんぽん屋さんにはその時に書いたサインがしっかりと飾ってあり、
店のお父さんが「はやく売れんね!」と愛情たっぷりの皿うどんを作ってくれた。

 

そのおかげもあり、その日のメンツ的に終始浮いていたDroogだけど、しっかりと地に足をつけてステージに臨めた。はずだ。たぶん。いや、確かに。

 

新たな出会いもあり、良い一日となり、翌日は出発まで時間があったのでふらっと一人で出島へ行ってみた。

 

天気はとても良く、海の風が気持ち良かった。

この気持ちの良い海へいつも持ち歩いてる母の骨を少し、撒いた。

そして目を閉じてしばらく祈って、母への思いを馳せた。

 

まだまだ全国は行けてないけど、着実に少しづつ大切な場所が増えている。お墓ではないが、ひとつひとつの土地が意味のある大切な場所へと変わっていく。いや、変えてくれる。ありがとう。

 


そして再び小倉へ向かう。次はアコースティック、unplugged droogのワンマンライブ。一度の九州ツアーで小倉へ二回行くなんてあまりないでしょう。でも小倉が好きなんだ。単純に。理由はそれだけ。

 

MCで「小倉の街には悲しい女が多い気がする」と言ったら笑われてしまった。決して失礼な意味ではなく、強さを感じるということ。そう、九州の根が強い女性らしさを感じる。

アコースティックワンマンは大成功。あの場所にいてくれた人は本当にDroogのことを強く思ってくれているのだと感じて、ほんと、なんていうか、大切な人たちです。

 


 

大好きな友だちにも会えて、後ろ髪引かれつつ大分へ。

 

翌日、午前中は姪の卒園式に出席。おじさんもスーツを着て、姪の一挙一動に涙。大きくなったな。例えどんな子に成長しようと、おじさんは一生きみの味方だ。

 
そして午後はタワーレコード大分店とのコラボで「月刊カタヤマ」というフリーペーパーを発行して頂いているので、挨拶に伺って世間話。やっぱり好きです。ここ。
ライブ本番。有り難いことに沢山の友だちも見に来てくれていた。でも、ステージから姿が見えると、その、ちょっと恥ずかしいんだよ。嬉しいけど。

 


そして翌日は法事があり、お寺へ。
お坊さんに説法を説いてもらう。

 

その中で「ありがたい」という言葉の由来は「有るが 難き(あるが がたき)」と教えてもらった。「有る」ことが 「難い」と。
滅多にない、珍しくて貴重だとかいう意味だ。

 

確かにその通りであり、このツアーで沢山の貴重な経験をさせてもらっていることに感謝をした。今後、ありがとうと言う時にはこの意味を込めて言おうと思った。

 


そして日曜日、九州ツアー最終日である熊本。余談だが、このツアーの移動中は実家から持ってきたブラック・ジャックをずっと読み返していた。いちいちグッとくるのだ。

 

話を戻そう。熊本サーキットイベント「HAPPYJACK」。毎年出させてもらっていて大好きなイベント。

 

全体の雰囲気がとても良く、人が良く、街が良く、HAPPYJACKでいまいちなライブをした記憶はない。もちろん今日も気持ち良く、うたえた。
でも、きっとこうやって思ったのもDroogを選んで来てくれたきみがいたからだと思う。

長かった九州ツアーはこれにて一旦終了。

 

全6箇所来てくれた人、数箇所も来てくれた人や、東京や横浜などの遠方から来てくれる人もいた。
ワタクシこんなもんだから、ひとりひとりと話したときにそっけない態度と捉えられるかもしれないけど、実は感動していました。本当に嬉しかった。この事は絶対に忘れない。

 

 

きみの気持ちをたっぷりと受け取って上がっていきます。

 

偉そうだけど、手を差し出すから、一緒に上がっていこう。
そのためなら、手も、足も、目も、耳も、髪も、口も、喉も、捧げる。
きみを捕まえるための手。
きみの街まで行くための足。
きみのことを見るための目。
きみの声を聞くための耳。
きみに見られるから格好付ける髪。
きみに伝えるための口。
きみに歌うための喉。

 

 

全てを捧げるよ。
そう全て、だ。
行こう。まだまだ小さなバンドだけど行く準備はできている。

たまに美味しいものでも食べながらさ。

 

 

「有るが 難き」
有ることは、難しい。だが、だからこそ「有難い」。

きみは貴重な存在なのだ。

 

ありがとう。

 

 

 

カタヤマヒロキ

 

勝てなくてもいい、負けなかったら。逃げてもいい、諦めなかったら。

あれから一年が経った。

去年の今日、母が死んだ。

病院で息を引き取った。

僕は今日、大分から東京へ戻ってきた。
九州ツアーと一周忌の法事のために帰省していたのだ。

慌ただしい日々は相変わらずで一昨年、去年、今年とやはりこの冬のはじまる時期は僕にとって色々と起こる時期のようだ。

今日は朝から飛行機に乗り、歯痛に怯え、明日また再開するツアーの準備のためにスタジオに入り、歯医者へ行き、家の近くにある弁当屋さんで惣菜を買って帰って、呑気に録りためていたテレビ番組を観ている。

一年前。こんな未来なんて想像できなかった。

目の前が真っ暗になって明日のことすらわからなかった。

ただその時に決まっていたライブ。
ライブのスケジュール。

これだけが生活の中心となっていて、渦中ではどういう顔をしてステージに立てばいいのかわからなかったが今考えたら唯一、真っ暗な日々の中にある一筋の光だったのかもしれない。

いや、恐らくそうだったのだろう。

当時はステージに立てるのかさえ不安だったが、ライブがあったおかげできっと毎日を過ごせて、前に進めたと思う。

ライブという存在に助けられた。

沢山の人が支えてくれて、仲間が支えてくれて、ライブが支えてくれた。

だからこれからもライブに対して決して力を抜くことはない。全力でやる。当たり前だけど。だって命の恩人とも言える存在だから。

ただこんな事言っといて皆さんご存じスベっちゃうことも多々あるんですけど・・。

それは、ごめんね。

人が亡くなってからは一般的には、お通夜、葬儀、四十九日、初盆、一周忌…とそれなりに行事が行われて普段会わなかったような親族とも定期的に顔を合わせたりする。

これはあくまで僕の考えだけど、亡くなった親族が寂しくないようにっていう理にも適っているように思う。

一周忌が終われば、次は三周忌で二年の間が開くわけで、やはり一周忌というのは一つの区切りなのかなとも感じる。

一周忌のときには慌ただしくあまり実感が湧かなかったが、なんだか今日はずっと不思議な気分の中にいた。

東京の家に帰り着いて、去年、この時期につけていた自分だけの日記を見てみた。

ここ一年はあまり見ることすらできなかった日記を。

辛くて全部は見ることができなかったが、亡くなる前日にはこう書いていた。

「11月20日

とうとう顎呼吸になる

ほぼ意識がなく話しかけても反応がない

辛いのか眉間にシワが寄っている状態の時に『笑って』と語りかけたらニコッと笑ってくれた

世界一素敵な笑顔だった」

今まで一年といっても実感のなかった気持ちが涙となって溢れ出した。

もう泣かないと思っていたがダメだった

ただこれは悲しいという気持ちよりも、その状態で笑った母に対する愛しさで涙が出た。

悲しみの底でも、教えられることが沢山あった。

僕もこんな人になりたいと思う。

嬉しいときに、思いっきり泣いて
悲しくて辛いときでも、笑えるような

そんな人になりたい。

この一年で何が変わっただろうか

この一年で何を失って、何を得たのだろうか

相変わらず人に迷惑をかけたり、思い返せば駄目な部分ばっかり頭をよぎる。

だけど胸を張って、声を大にして言えることがある。

たとえ今悲しみの底にいたとしても

一年で人は心から笑えるようになる

たった一年。

たった一年でその悲しみの底から抜け出せる

そして抜け出したときには

きっと大きなものを教わっているはずだ。

あんまり好きな言葉じゃなかったけど

心を込めて言わせてもらう。

だいじょうぶ。がんばろうぜ。