勝てなくてもいい、負けなかったら。逃げてもいい、諦めなかったら。
あれから一年が経った。
去年の今日、母が死んだ。
病院で息を引き取った。
僕は今日、大分から東京へ戻ってきた。
九州ツアーと一周忌の法事のために帰省していたのだ。
慌ただしい日々は相変わらずで一昨年、去年、今年とやはりこの冬のはじまる時期は僕にとって色々と起こる時期のようだ。
今日は朝から飛行機に乗り、歯痛に怯え、明日また再開するツアーの準備のためにスタジオに入り、歯医者へ行き、家の近くにある弁当屋さんで惣菜を買って帰って、呑気に録りためていたテレビ番組を観ている。
一年前。こんな未来なんて想像できなかった。
目の前が真っ暗になって明日のことすらわからなかった。
ただその時に決まっていたライブ。
ライブのスケジュール。
これだけが生活の中心となっていて、渦中ではどういう顔をしてステージに立てばいいのかわからなかったが今考えたら唯一、真っ暗な日々の中にある一筋の光だったのかもしれない。
いや、恐らくそうだったのだろう。
当時はステージに立てるのかさえ不安だったが、ライブがあったおかげできっと毎日を過ごせて、前に進めたと思う。
ライブという存在に助けられた。
沢山の人が支えてくれて、仲間が支えてくれて、ライブが支えてくれた。
だからこれからもライブに対して決して力を抜くことはない。全力でやる。当たり前だけど。だって命の恩人とも言える存在だから。
ただこんな事言っといて皆さんご存じスベっちゃうことも多々あるんですけど・・。
それは、ごめんね。
人が亡くなってからは一般的には、お通夜、葬儀、四十九日、初盆、一周忌…とそれなりに行事が行われて普段会わなかったような親族とも定期的に顔を合わせたりする。
これはあくまで僕の考えだけど、亡くなった親族が寂しくないようにっていう理にも適っているように思う。
一周忌が終われば、次は三周忌で二年の間が開くわけで、やはり一周忌というのは一つの区切りなのかなとも感じる。
一周忌のときには慌ただしくあまり実感が湧かなかったが、なんだか今日はずっと不思議な気分の中にいた。
東京の家に帰り着いて、去年、この時期につけていた自分だけの日記を見てみた。
ここ一年はあまり見ることすらできなかった日記を。
辛くて全部は見ることができなかったが、亡くなる前日にはこう書いていた。
「11月20日
とうとう顎呼吸になる
ほぼ意識がなく話しかけても反応がない
辛いのか眉間にシワが寄っている状態の時に『笑って』と語りかけたらニコッと笑ってくれた
世界一素敵な笑顔だった」
今まで一年といっても実感のなかった気持ちが涙となって溢れ出した。
もう泣かないと思っていたがダメだった
ただこれは悲しいという気持ちよりも、その状態で笑った母に対する愛しさで涙が出た。
悲しみの底でも、教えられることが沢山あった。
僕もこんな人になりたいと思う。
嬉しいときに、思いっきり泣いて
悲しくて辛いときでも、笑えるような
そんな人になりたい。
この一年で何が変わっただろうか
この一年で何を失って、何を得たのだろうか
相変わらず人に迷惑をかけたり、思い返せば駄目な部分ばっかり頭をよぎる。
だけど胸を張って、声を大にして言えることがある。
たとえ今悲しみの底にいたとしても
一年で人は心から笑えるようになる
たった一年。
たった一年でその悲しみの底から抜け出せる
そして抜け出したときには
きっと大きなものを教わっているはずだ。
あんまり好きな言葉じゃなかったけど
心を込めて言わせてもらう。
だいじょうぶ。がんばろうぜ。