2015年のはじまり
気付けば2015年になって1ヶ月が経とうとしている。
今年は「明けましておめでとうございます」という挨拶の代わりに「今年もよろしくお願いします」だった。
喪中なので「明けましておめでとう」は決して言わないと決めていたのに、年末のライブでテンションが上がり、年も明けてないのに「明けましておめでとう!」と叫んでしまったのは我ながらエンターテイナーと馬鹿を履き違えた所であり、情けないと同時にそういう所が嫌いでもなかったりするからやっかいだ。
今年に入って新しくレギュラーラジオも始まり、早7本のライブも無事に終了した。
新たなツアーも始まり、一緒にツアーをまわっている仲間と、各地で待ってくれてる人や初めて出会う人のおかげで慌ただしくも楽しい日々を送っている。
それでも、やはり寝る前やふとした瞬間に母のことを考えてしまう。
美味しいものを食べる時は母にも食べさせたかったと思うし、
腹が痛い時は、最期の母はこの何倍もの痛さだったのだろうと想像する。
東京で大きな変化があれば状況だって報告したいし、珍しく雪が降っても以前だったら連絡をくれていた人はもういない。
ツアー先からご当地のものを送る必要もない。
癌の本や、新しい治療法や漢方薬などのニュースを調べることもなくなった。
携帯のアドレス帳「お母さん」からはもう二度とメールも電話も来なくなってしまった。
母の携帯はなんとなく解約することができずにまだ持っている。
どんなに楽しいことがあって、どんなに笑えた1日でも、寝る前には涙が出る。
ぼくはまだ23歳で、結婚だって経験したことないし、子どもだっていない。
ただきっと、生きていると嬉しいことの衝撃より悲しいことの衝撃のほうが大きいのだろうと思う。
少し言い方を変えれば、嬉しいことや喜びは育つ。大きくなっていく。出会いや、出産だったり。物をもらって使ったり。
それに比べて辛いことや、悲しみはいきなりやってきて、その大きく育っていったものが突然消えてなくなる。別れや、死。失うこと。
ただそれと同時に、人間はそれらの悲しみに耐えれるようにできているということも実感した。
人生で一番恐れていたこと。
それが去年やってきた。
もうこれ以上の悲しみを経験することはないのだ。そう考えると怖いものがなくなった。
人と話したり、ステージ等でも臆病になることがなくなった。
人からどう思われているかばかり無駄に考えていたが、今では考え方が変わった。
きみがもしどうしようもない悲しみに打ちひしがれていても大丈夫。
きっと「なんとかなる」。
人間はそうできている。
現在、47都道府県の5分の1くらいに母の骨を撒いてきた。
大分、東京、宮城、秋田、北海道、栃木、群馬、大阪、岡山…
どこもぼくにとっては特別な場所となった。
まだまだ旅は続く。
遅くなりましたが今年も宜しくお願いします。
悲しい思い出は消えることはないけど、
楽しい思い出は、増える。