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ふたつの鈴

僕の車には、鈴をひとつ付けている。

クリスマスツリーに飾り付けられる手で握ればちょうどすっぽり隠れるくらいの大きさのどこにでもある銀色の鈴。

バックミラーの下に紐でくくり付けてあり、急発進やカーブする度に「チリン チリン」と音が鳴る。

坂道をのぼれば
「チリン チリン」

右折したら
「チリン チリン」

左折したら
「チリン チリン」

人が道に飛び出てきて急停車したら
「チリン チリン」

この鈴の音を聞くたびに胸がぎゅっと締め付けられて目に涙がたまる。

ーそれは母が亡くなる数週間前の話。

この時期、僕はずっと病院に寝泊まりしていた。あれだけ歩き回ったり、人と話すのが大好きだった母が病院から外出できなくなり、自分の力で立てなくなり、小さな声しか出せなくなっていた。

ベッドで横になってる時間がほとんどになってしまったが、甘いものが好きだった母は、あの和菓子が食べたい、あの店のパンが食べたいなどと言っていた。

その頼まれたものを毎日買いに行くのが日課になっていた。昼になると兄貴が病院にくるのでその間に外出してお菓子やフルーツを買ってくる。

買って病院へ戻ると、本人はほとんど食べれない状態なのだが、一口だけ食べたり、近くの見えるところへ置いてたりすると喜んだ。母が少しでも喜ぶのならなんでもしたいと、毎日何が食べたいか?を聞いてはできるだけ忠実にそれを買ってきた。

時には通販や、母の小さい頃に食べていたものなど、幼少期に住んでいた家の近くのお店をネットで探したりもした。

兄貴と力を合わせて母の好きなものを少しずつ少しずつ病室へ集めた。

これじゃないとダメ出しされることもあったが、目当ての物を差し出したときの笑顔がホッとして嬉しかった。

その間も着実に病気は身体を蝕んでゆく。

がん細胞の増えていくスピードは正確に、止まることなく増えていった。

脳にも転移が見つかった。

思うように身体が動かなくなる。
出せる声が日に日に小さくなっていく。

一緒に泊まっていて、夜中でもなにかあると呼ばれて、起きて様子を見ていた。

ただ僕を呼ぶ声すら出しづらくなっていた。

病室は緩和ケア病棟なので通常の病室より広く、スライドドアを閉めれば2部屋になるリビングのような部屋だった。

常にドアは開けてるが僕の寝てるソファーからだと夜寝てたら、母になにかあっても気付けない。

もちろんナースコールはあるが、僕だけを呼ぶときにどうすれば良いのだろう…。

考えて、母のベッドに鈴を付けたらどうだろうか?と思い付いた。

次の日、兄貴が近くの100円ショップでふたつ入りの鈴を買ってきた。

これを紐でベッドの右側、左側、ちょうど手が届く位置にくくり付けた。

「ふふふ、どう?これでバッチリでしょ?」

少し自慢気に言うと

「チリン チリン」

母は鈴を触ってニコッと笑い、親指と人差し指をくっつけてバッチグーのサインをした。

その夜からが大変だった。

夜中、寝ている母を確認して、ようやく寝ようとしたら

「チリン チリン」

飛び起きて母のベッドに行き、

「どうしたの?」

息のような小声で、
「…水が飲みたい」

また寝たのを確認してこっちも眠りにつくと30分くらいして

「チリン チリン」

バッと飛び起き、

「どした?」

「…布団が重いよ」

それからは毎晩この鈴がなる度に側にいくと「背中がかゆい」や「座りたい」など言っていて、まあ大変だけど、これだけ呼ばれるということは鈴を付けて良かったなあとホッとしていた。

ある日、疲れて寝ていて鈴の音に気付かない時があった。

「チリン チリン…

…チリン チリン…

…チリン チリ…」

ハッと急いで飛び起き、駆け寄ったら

「…ただ呼んだだけ」

とニコッと笑われた時は、この繋がってる点滴をひっこ抜く光景が頭に浮かんだ。

またある夕方、キッチンでリンゴを剥いてるといつものように「チリン チリン」と鳴る。

「電気が直接当たって眩しい」

と言った。確かに部屋の電気が母のベッドからちょうど顔の真上だったので段ボールを切って、天井に貼りつけて光が顔に直接的に当たらないようにした。

「これは我ながら良いんじゃない。どう?」

これまた自慢気に聞くと、

母は両手の人差し指と人差し指をクロスさせてバッテンのようにちょんちょんとしていた。

気にいらなかったのかな?とよく見ると、
ニコニコしてバッテンをちょんちょんとしている。

それは思うように手が動かせなくなった母なりの拍手だったのだ。

普段ステージに立っていると、
拍手をしてもらうこともあり、
時に大きい会場では何百人の拍手を聞くことが少なくともあったが、
これほどずっこけた拍手は今までなかったし、これからもきっとないだろう。

一生忘れない出来事のひとつとなった。

その鈴も日に日に鳴る回数が少なくなっていった。

時にはうっとうしいと感じた鈴の音が聞こえると “ 母が生きている “ とわかる嬉しいものに変わっていった。

誰かに必要とされるということは嬉しいこと。
それが大切なひとだったらなおさらだ。

だが時は確実に過ぎていき、その鈴も鳴らなくなった。

やがて意識がなくなり、鈴はベッドから外された。

母が旅立って病室を片付けている際にそのふたつの鈴が出てきた。

悲しくなるから鈴を処分しようかどうか悩んでいたら、兄貴から 兄弟でひとつずつ持っていよう と手渡された。

病室から出て葬儀社へ向かう際にその鈴を車のバックミラーの下にくくり付けた。

「チリン チリン」

今でも鈴の音が鳴るたびに母がどこかで僕を呼んでいるような気がする。

もしくはいつも口うるさく言っていた

「あんたは運転が下手やけんね。事故だけは気を付けなさいよ。」

と優しく言われてるような。

物の価値観は金額やブランドなんかじゃない。

「何を手に入れるか」より「何のために手に入れるか」

物の美しさはそこで決まるのだと思う。

その100円ショップの鈴は、
今ではなによりも宝物だ。